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[ GEN 5 · ソニー・コンピュータエンタテインメント ]

プレイステーション(PS1 / PSX)

PlayStation SCPH-1001(北米 1995 年版)、定価 39,800 円。コントローラの肩ボタンとクールグレーの筐体は 1990 年代後半「青年向け」家庭用機のビジュアル言語を定義した。
© Evan-AmosSourcePD

ハードウェア仕様

メーカー
ソニー・コンピュータエンタテインメント
CPU
MIPS R3000A @ 33.87 MHz(CXD8606)
GPU
ソニー自社製 GTE + GPU — 36 万ポリゴン/秒
RAM
2 MB(主)+ 1 MB(VRAM)+ 512 KB(音源)
解像度
256×240 〜 640×480(複数モード)
音源
Sony SPU — 24 ch ADPCM
メディア
CD-ROM(最大 660 MB)

発売日

日本
1994-12-03
北米
1995-09-09
欧州
1995-09-29

累計販売台数

公式数値
1 億 240 万台(Sony SIE 公表生涯数値)
コミュニティ合意
日本 2,200 万 / 北米 4,400 万 / 欧州・他 3,800 万

ソニー・インタラクティブエンタテインメント公式業績ページ

派生機種

SCPH-1000 / 1001 / 1002 初期型

1994-1995

初期ハードウェア改訂

初期のプレイステーションは背面 RCA 端子と初期型の光学ドライブ機構を備えていた。音質評価、ピックアップ劣化、そして本体を逆さにして読み込ませる逸話は、この世代の機体に集中している。

SCPH-5500 / 5501 中期型

1996-1997

量産安定版

ソニーはドライブ配置と背面端子を整理し、大量生産向けに信頼性を高めた。多くのプレイヤーが思い浮かべる灰色の PS1 は、この安定期のイメージに近い。

デュアルアナログコントローラ / DualShock

1997

コントローラ進化

アナログスティックと振動機能は、PS1 を十字キー中心の 3D から現代的な操作体系へ押し上げた。DualShock は以後の PlayStation コントローラの文法となり、現代ゲームパッド全般にも影響を与えた。

PocketStation

1999 JP

メモリーカード型携帯機

日本限定のメモリーカード型ミニ携帯機。ミニゲームやセーブデータ、連動要素を持ち歩けた。スマートフォン連動が一般化するずっと前の、PS1 生態系の小さな実験だった。

PS one(SCPH-100)

2000

小型化モデル

白い小型化モデルは、プレイステーションをより安く、より生活家電らしい存在にした。PS2 発売後も売れ続け、プラットフォームの寿命を 2006 年まで延ばした。

PS one LCD Screen

2001

公式液晶アクセサリ

公式 5 インチ液晶を PS one 背面に接続することで、半携帯型の環境を作れた。寮、車内、小さな部屋で遊ぶユーザーにとって、PS1 晩期を象徴する周辺機器だった。

プレイステーションの物語は 1994 年ではなく、任天堂の裏切りから始まる。1988 年から 1991 年にかけて、ソニーと任天堂はスーパーファミコン用 CD-ROM 拡張機器「プレイステーション」を共同開発していた。ソニー側の主導は 久夛良木健——スーファミの SPC700 音源チップを設計した技術者である。1991 年 6 月の CES で、ソニーは提携を対外的に発表した。しかし翌日、同じ展示会場で任天堂はパートナーを Philips に切り替えたと公表した——公然たる屈辱だった。ソニー社内首脳陣はプロジェクト中止を主張したが、当時の社長大賀典雄が独立チームとして久夛良木に開発続行を命じた。この機械は最初から復讐の匂いを纏っていた。

1994 年 12 月 3 日、プレイステーションは日本で発売された。価格 39,800 円。鍵となった仕様は CD-ROM だった。1 枚あたり 660 MB——スーファミカートリッジ(4〜32 Mbit、約 0.5〜4 MB)の 2 桁上の容量。製造コストは安く、量産サイクルも短く、フル動画と Red Book 音源が載せられた。久夛良木はこれをサードパーティ取り込みの梃子に使った——任天堂より低いライセンス料、独自カートリッジ供給網からの解放、アセンブリではなく C 言語ベースの開発環境。1996 年 1 月、スクウェアは『ファイナルファンタジーVII』のプレイステーション移行を公式発表——日本のサードパーティが集団的に任天堂陣営から離反する号砲となった。エニックス、コナミ、カプコン、ナムコが続いた。任天堂は N64 でカートリッジ路線を続けたが、サードパーティの信頼はもう戻らなかった。

ソフトウェア面で、プレイステーションは「主流のゲーム」の定義を書き換えた。『ファイナルファンタジーVII』(1997)は RPG を映画に変え、『メタルギアソリッド』(1998)はステルスをアートディレクションへと押し上げ、『グランツーリスモ』(1997)は「ドライビングシミュレーター」というジャンルを創出し、『バイオハザード』シリーズはサバイバルホラーを主流にし、『クラッシュ・バンディクー』(黎明期のノーティドッグ)は非任天堂陣営のマスコットとなった。久夛良木のポジショニングは明確だった——ゲーム機を玩具に見せない、プレイヤーを子供に見せない

商業的成績は前例のないものだった。プレイステーションは史上初めて累計 1 億台を突破した家庭用ゲーム機で、最終的に 1 億 240 万台に達した。2000 年 7 月 7 日、ソニーは PSone(SCPH-100、白色のスリム改訂版)を発売、さらに 2,800 万台を売り上げ、2006 年の正式販売終了まで現役だった。12 年の製品寿命——プレイステーションは家庭用ゲーム機を「玩具」から「家庭エンタテインメント・ハブ」へと文化的に変質させた最大の単一製品であり、ソニーの後続 3 世代が継承するすべての基盤を築いた機械である。

代表作

  • ファイナルファンタジーVII(スクウェア、1997)
  • メタルギアソリッド(コナミ、1998)
  • バイオハザード 2(カプコン、1998)
  • グランツーリスモ(ポリフォニー、1997)
  • クラッシュ・バンディクー(ノーティドッグ、1996)