[ GEN 1 · アタリ(設計:Allan Alcorn / Nolan Bushnell / Ted Dabney) ]
アタリ ホーム Pong
ハードウェア仕様
- メーカー
- アタリ(設計:Allan Alcorn / Nolan Bushnell / Ted Dabney)
- CPU
- **Pong 専用 ASIC 1 個**(アタリ設計)
- RAM
- なし
- 解像度
- 白黒ブロックスプライト、固定プレイフィールド
- 音源
- **電子音 1 種**
- メディア
- なし——ゲームは ASIC に焼き込み済み、交換不可
- コントローラ
- ダイヤル式パドル 2 個(本体に直結)
発売日
- 北米
- 1975-12-01
累計販売台数
- 公式数値
- 発売初年 15 万台(Sears 独占)/ 累計(Super Pong などの派生機を含む)約 100 万台
- コミュニティ合意
- 1975 年 $99 米ドル、Sears 玩具部門でクリスマスシーズンに完売
アタリと Sears の 1975-77 年販売記録
派生機種
Sears Tele-Games Pong
1975Sears 独占ローンチ版
Home Pong は最初、多くの家庭に Atari ブランドではなく Sears の Tele-Games 名義で届いた。1975 年の家庭用ビデオゲームは、まだ電子娯楽の専門カテゴリではなく、百貨店のクリスマス玩具だった。
Atari Home Pong C-100
1975Atari 自社ブランド版
C-100 はアーケード版 Pong を専用チップと 2 つのパドルつまみに圧縮した機械で、CPU もカートリッジも更新可能なソフトもない。それでも、一つのゲームだけの箱が量販商品になり得ることを証明した。
Super Pong
1976複数モード対応 Pong
Super Pong はコートとルールの変化を増やし、カートリッジ以前の専用機がどう進化したかを示している。ゲームを入れ替えるのではなく、同じ Pong の論理回路に遊び方を追加する時代だった。
Ultra Pong / Pong Doubles
19774 人プレイ・多変種モデル
Ultra Pong と Pong Doubles は、つまみ、モード、ローカル多人数プレイを専用 Pong 機の限界まで押し広げた。Atari 2600 が交換式カートリッジを標準にする直前の、単一ゲーム機時代の最後の繁栄だった。
Pong-on-a-chip ライセンス / クローン機
1976-1978専用チップ生態系
General Instrument などの低価格 Pong-on-a-chip により、世界中でライセンス機とクローン機が大量に生まれた。Pong は Atari だけの商品ではなく、白物家電のような家庭用ゲーム機テンプレートになった。
アタリ ホーム Pong の物語は 1975 年からではなく、1972 年のマグナボックス代理店デモから始まる。Nolan Bushnell(アタリ創業者)は 1972 年 5 月にオデッセイの Table Tennis を見た後、アタリへ戻り、エンジニアの Allan Alcorn に「単純な練習問題」と称してアーケード版を作らせた。Alcorn は 3 ヶ月で試作機を完成させ、カリフォルニア州サニーベールの Andy Capp’s という酒場に設置した。初日に筐体が故障した——回路の不具合ではなく、コイン投入口が 25 セント硬貨で完全に詰まっていたためだった。1972 年のアーケード版 Pong はアタリ初の大ヒットとなり、3 年で 19,000 台を販売した。
家庭用版はアラン・アルコーンが 1974-1975 年に主導した家庭化プロジェクトで、Pong アーケード機全体を自社製 ASIC チップ 1 個に圧縮する取り組みだった。CPU なし、RAM なし、プログラム可能ロジックなし——ゲーム本体がシリコンそのものであり、Pong の挙動がチップのゲート構造に直接エッチングされていた。1975 年クリスマスシーズンに Sears Roebuck(当時の米国最大百貨店)が独占販売契約を結び、$99 米ドルで発売。この Sears 玩具部門との契約はアタリ史上初の 7 桁契約で、初年度 15 万台の供給は Sears で完売、1975 年クリスマスシーズンの最も売れた玩具となった。
しかし「ホーム Pong がオデッセイの模倣品である」という事実は、マグナボックスの法務部が 1974 年から把握していた。1974 年マグナボックスはアタリを特許侵害で提訴、1976 年に歴史的和解が成立——アタリは Pong 関連特許の永久ライセンスを 70 万ドルの一括払いで取得した。この訴訟が確立した判例は、現在に至るまで家庭用機産業のあらゆる特許紛争に影響を残している。1976-1977 年にかけてアタリは Super Pong、Ultra Pong、Pong Doubles など十数機種の派生機を投入——いずれもゲーム 1 本を ASIC 1 個に焼き込む製品で、「家庭用機 = 1 ゲーム」時代の最後の量産期だった。
1977 年、アタリはカートリッジ交換式の Atari 2600 を発売、Pong シリーズは一瞬にして時代遅れとなった。しかしホーム Pong が 1975 年に成し遂げたことは、販売数字以上に重要だった。マグナボックス オデッセイは「家庭用機は技術的に成立する」ことを証明した。ホーム Pong は「家庭用機は事業として儲かる」ことを証明した。ホーム Pong の商業的検証がなければ、アタリは Atari 2600 への投資勇気を持てず、その後の 1980 年代産業全体は存在しなかった。
代表作
- Pong(本機唯一のゲーム)
- Super Pong / Ultra Pong / Pong Doubles(派生独立機シリーズ)