[ GEN h · セガ ]
ゲームギア(Sega)
画像アーカイブ
ハードウェア仕様
- メーカー
- セガ
- CPU
- Zilog Z80 @ 3.58 MHz(マスターシステムと同コア)
- ディスプレイ
- **カラー・バックライト STN-LCD** 160×144、同時 32 色
- RAM
- 8 KB(システム)+ 16 KB(VRAM)
- 音源
- TI SN76489 PSG — 4 ch
- メディア
- ROM カートリッジ + マスターシステム アダプタ
- 電池
- **単 3 形 6 本で 3-5 時間**——ゲームボーイ 30 時間の約 1/6
発売日
- 日本
- 1990-10-06
- 北米
- 1991-04-26
- 欧州
- 1991-04-26
累計販売台数
- 公式数値
- 全世界累計 約 1,062 万台(セガ 1997 年生産終了時データ)
- コミュニティ合意
- **世界初のカラー・バックライト搭載携帯機**——ただしゲームボーイの 3 倍の電力消費
セガ 1997 年生産終了時累計
派生機種
セガ ゲームギア 標準モデル(HGG-3201)
1990 JP / 1991 NA初代カラーバックライト携帯機
1990 年 10 月 6 日に日本で発売(19,800 円)、1991 年 4 月に北米($149.95)。**セガがゲームボーイに対抗したカラー携帯機**——Z80 CPU、3.2 インチカラーバックライト STN LCD、4096 色パレット、横持ちグリップ設計。アーキテクチャは基本的に**「マスターシステムを携帯機化したもの」**(VDP とカートリッジ互換アーキテクチャを共有)。しかし単三電池 6 本で**わずか 3-4 時間**——カラーバックライトは 1990 年のハードウェアコストでは本質的に電力を食い、Atari Lynx と同じアキレス腱だった。世界累計約 1,100 万台。
ゲームギア TV チューナー(HGG-3210)
1992-1993テレビ受信周辺機器
1992 年発売の **ゲームギア TV チューナー**($99)はゲームギアをミニ CRT テレビに変え、アナログテレビ放送を受信できるようにした(NTSC 北米 / PAL 欧州で版違い)。**家庭用機・携帯機業界では稀な TV 受信周辺機器**(任天堂のゲームボーイには同等品なし)。日本版にはチューナーパックがあり、セガ純正のマスターシステム映像ケーブルと組み合わせ、ゲームギア画面を SMS のディスプレイとしても利用可能。1990 年代初頭の「携帯マルチメディア」コンセプトの早すぎた実装である。
Master Gear Converter(HMG-3200)
1991マスターシステム カートリッジアダプタ
**Master Gear Converter**($30)はゲームギアでマスターシステムカートリッジを直接動作させる周辺機器——ゲームギア内部アーキテクチャは基本的にマスターシステム同等で、アダプタを介して SMS の全ソフトライブラリが事実上使えるようになった(**史上最初期の「家庭用機ソフトを携帯機で動かす」実装**)。しかし SMS カートリッジは 256×192 解像度・32 色設計で、ゲームギア画面は 160×144・4096 色のため**画面はクロップ**され、プレイ体験には妥協があった。
Majesco ゲームギア(北米再販)
2000-2001Majesco による後期再販版
1999 年セガが携帯機事業から撤退した後、**Majesco Sales** がゲームギアの北米再販ライセンスを取得し、2000-2001 年に $30-50 の低価格で再販モデルを販売した。Majesco は同時期にセガジェネシス 3-in-1、SMS 再販モデルなども展開——1990 年代末セガハードウェア IP に対する第三者延命戦略だった。**北米ゲームギアはこれにより 2001 年まで販売継続**(オリジナルラインは 1996 年に終了済み)、セガ携帯機撤退後の最後の灯火となった。
メガジェット(ANA 機内娯楽版)/ 中止された後継機
1992-1996ANA 機内版と中止された後継機
1992 年の日本機内向け **メガジェット**(HMP-2000)はメガドライブ基板をゲームギア風の手持ち筐体に詰め込み、外部ディスプレイが必要だった——もともとは**全日空(ANA)国内線の機内娯楽機器**で、1994 年にようやく一般市販化された。セガは 1995-1996 年にゲームギア II を構想していた(ノマドはメガドライブ携帯版でゲームギア後継機ではない)が、サターンのソフト開発リソースが圧迫され、**ゲームギア後継機計画は全て中止**、セガは 2003 年に携帯機市場から完全撤退した。
1990 年 10 月 6 日、セガはゲームギアを日本で発売した。価格 19,800 円。セガにとって任天堂の携帯機支配への初の本格的正面挑戦——同時に、家庭用市場でファミコンに敗北した後、戦場を携帯機に移そうとする試みでもあった。設計戦略は明快で、マスターシステムのハードウェア(Z80+VDP+PSG)をそのまま携帯機に圧縮する——これは後の PSP(PS2 級規格)、PS Vita(PS3 級規格)でソニーが採用した「現行据置機の小型化」と同一のアプローチである。
セガが競争軸に選んだ「画面品質」の面では、ゲームギアはゲームボーイを明確に上回っていた。Zilog Z80 @ 3.58 MHz(マスターシステムと同コア)、カラー・バックライト STN-LCD 160×144、同時 32 色(ゲームボーイは 4 階調の反射型 LCD)、TI SN76489 PSG 4 ch 音源、ROM カートリッジ+マスターシステム アダプタ(家庭用 SMS の全ライブラリが動作)。カラー+バックライトという組み合わせは、1990 年の店頭デモにおいてゲームボーイを決定的に圧倒した——セガの広告コピー「Welcome to the Next Level」はモノクロ画面の任天堂を名指しで挑発した。
しかし電力消費こそがゲームギアの決定的な弱点だった——単 3 電池 6 本で 3-5 時間、ゲームボーイの単 3 電池 4 本で 30 時間に対して約 1/6 の駆動時間である。「予備電池をバッグに 12 本」携行することがゲームギア所有者の典型的な習慣となり、通勤や旅行といった実戦シーンでは半日も持たなかった。セガは 1991 年に TV チューナー周辺機器を投入(携帯テレビとして使用可能)し、「Bring Your TV With You」キャンペーンで訴求したが、TV チューナー使用時の駆動時間はさらに約 90 分まで短縮され、製品ポジショニングはむしろさらに混乱した——ゲーム機なのか、ポータブル TV なのか?
ソフトウェア面ではセガは健闘した:『ソニック・ザ・ヘッジホッグ』(セガ 1991)、『コラムス』(セガ 1990、テトリス系の落ち物パズル)、『シャイニング・フォース外伝』(セガ 1993、シャイニング・フォース系の派生作)、『ソニックドリフト』(セガ 1994)、『アウトラン』(セガ 1991 移植)——ファーストパーティ陣容としては機能していたが、サードパーティ支援はゲームボーイに遠く及ばなかった。マスターシステム時代に任天堂のサードパーティ独占政策により業界の信頼を失っていた影響が、ゲームギア期にも継続していた。ソニックシリーズ単独では、ゲームボーイ陣営の『テトリス』『スーパーマリオランド』『ポケットモンスター 赤・緑』(1996)の三本柱に対抗できなかった——電池駆動時間以上に、ソフトラインアップの厚みの差が販売差の根本原因である。
商業的にはゲームギアは全世界累計 約 1,062 万台(セガ 1997 年生産終了時データ)——同時期のゲームボーイ 1 億 1,800 万台に対して**約 9%**である。これはセガが任天堂の主戦場(携帯機)で最もはっきりと敗北した世代である。セガは以後、独立した携帯機を一切リリースしなかった(Nomad はメガドライブの携帯版であり、ゲームギアの後継ではない)。1999 年以降セガはハードウェアリソースを全て Dreamcast に集中させた。ゲームギア以後の歴史は、セガがハードウェア事業から段階的に撤退していく序章とも言える——2001 年の Dreamcast 生産終了、そして同年セガのプラットフォーム事業からの完全撤退をもって、ゲームギアはセガのハードウェア史を締めくくる句点となった。
代表作
- ソニック・ザ・ヘッジホッグ(セガ、1991)
- コラムス(セガ、1990)
- シャイニング・フォース外伝(セガ、1993)
- ソニックドリフト(セガ、1994)
- アウトラン(セガ、1991 移植)