[ GEN h · バンダイ(設計:横井軍平 / コト) ]
ワンダースワン(Bandai)
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ハードウェア仕様
- メーカー
- バンダイ(設計:横井軍平 / コト)
- CPU
- NEC V30 MZ @ 3.072 MHz(80x86 + Z80 ハイブリッドアーキテクチャ)
- ディスプレイ
- **224×144 STN-LCD、縦横切替可能**(本体を 90° 回転して操作)
- RAM
- 16 KB(システム)+ 64 KB(VRAM)
- 音源
- PCM 4 ch
- メディア
- ROM カートリッジ(最大 32 MB)
- 電池
- **単 3 形 1 本で 30 時間動作**——同時期最も省電力
発売日
- 日本
- 1999-03-04
累計販売台数
- 公式数値
- シリーズ累計 約 350 万台(ワンダースワン + カラー + SwanCrystal)
- コミュニティ合意
- **日本のみ発売**——1999-2003 年の日本携帯機市場における第 3 勢力
バンダイ 2003 年撤退時累計
派生機種
ワンダースワン(モノクロ原版、SW-001)
1999 JP初代モノクロ携帯機
1999 年 3 月 4 日に日本で発売、価格 4,800 円——**ゲームボーイ(8,000 円)の 60% の価格**。バンダイは任天堂を退社した横井軍平氏に直接設計を依頼、**横井氏の遺作**となった(1997 年 10 月の交通事故で逝去後、1999 年に製品が発売された)。**16-bit NEC V30 MZ CPU、縦横両持ち対応、単三電池 1 本で 30 時間駆動**。横井軍平の **「枯れた技術の水平思考」**哲学の最も完全な実装——バンダイは低コスト技術と既存 IP(ファイナルファンタジー、ガンダム、アンパンマン)で任天堂の携帯機覇権に挑戦した。
ワンダースワンカラー(SC-001)
2000 JPカラー化アップグレード版
2000 年 12 月 9 日に日本で発売、価格 6,800 円——**241 色同時表示・4096 色パレットの STN LCD**、単三電池 1 本で 20 時間駆動を維持。**スクウェアが WSC を公式サポート**——『ファイナルファンタジー I』『II』『IV』全てが WSC でカラーリメイクとして発売された(2000-2002)。これは 1996 年にスクウェアが任天堂を離れた後の、稀な復帰の兆しだった。**WSC は累計約 250 万台**、ワンダースワンシリーズ最大のヒット作となった。
SwanCrystal(SCT-001)
2002 JPTFT カラー LCD 版
2002 年 7 月 12 日に発売された SwanCrystal(7,800 円)は **TFT カラー LCD** を採用し、視野角拡大と応答速度の向上を実現。ワンダースワンファミリの**最後の改訂版**——2003 年初頭のバンダイ・ナムコ合併交渉時、バンダイ経営陣は携帯機事業がゲームボーイアドバンス(2001)と来るべき DS(2004)に対抗できないと判断、SwanCrystal 発売半年後には新ハードの企画は皆無となった。1990 年代の日本メーカーが任天堂の携帯機覇権に挑んだ最後の試みである。
ワンダーウェーブ赤外線 / ワンダーボーグ ロボット周辺機器
1999-2001独自周辺機器
ワンダースワン周辺機器の中で最も特徴的な 2 つ——**ワンダーウェーブ赤外線送信機**(ワンダースワンをテレビリモコンに変える)と **ワンダーボーグ**(ワンダースワンで制御する小型車輪ロボット)。ワンダーボーグはバンダイと東京大学のロボティクス研究室の共同開発による教育商品で、価格 9,800 円、プログラムによる動作制御が可能だった。**横井軍平「枯れた技術の水平思考」の代表作**——既存の安価な技術を組み合わせて新しい体験を生み出した。
モバイルワンダーゲート(携帯電話接続周辺機器)
2001 JP携帯電話によるネットワーク周辺機器
2001 年 3 月発売の **モバイルワンダーゲート** は、ワンダースワンを NTT ドコモ/au の携帯電話経由でネット接続させる周辺機器——ミニゲームのダウンロード、メール受信、簡易ウェブブラウジングが可能だった。**ニンテンドー DS ブラウザー(2006)より 5 年早く、PSP のウェブ接続(2005)より 4 年早かった**。しかし 2001 年時点では日本の家庭用インターネット接続は i-mode が始まったばかりで、ほとんどのユーザーは導入しなかった。1990 年代末「家庭用機・携帯機オンライン化」実験潮(ドリームキャスト、ピピン、モバイルワンダーゲート)の最後の波である。
1999 年 3 月 4 日、バンダイはワンダースワンを日本で発売した。価格 4,800 円——同時期のゲームボーイカラー(9,800 円)の半値である。ゲームボーイの生みの親・横井軍平が任天堂退社後に設計した最後の携帯機であり、横井は 1996 年に任天堂を退社してコト・ラボラトリーを創業、1997 年にワンダースワンのプロトタイプを完成させた直後、同年 10 月に交通事故で逝去した。バンダイが量産化を引き継ぎ、1999 年に発売したという経緯から、ワンダースワンは日本のプレイヤーにとって特別な意味を持つ——横井軍平の遺作である。
技術仕様面ではワンダースワンは横井の設計哲学「枯れた技術の水平思考」(成熟・廉価な技術を組み合わせて独自性を生み出す)の純粋な体現である。NEC V30 MZ @ 3.072 MHz(80x86+Z80 のハイブリッドアーキテクチャ、いずれも成熟した枯れた IP)、224×144 STN-LCD、16 KB RAM+64 KB VRAM、4 ch PCM 音源、ROM カートリッジ(最大 32 MB)。最大の特徴は単 3 電池 1 本で 30 時間動作——同時期のゲームボーイカラー(単 3 電池 4 本で 10 時間)の電池あたり効率に対して約 12 倍である。この圧倒的な省電力性能こそが、横井の設計署名にほかならない。
最大のオリジナル設計は「縦横切替可能な画面」——本体を物理的に 90° 回転させることで縦横の切り替えが可能であり、RPG は縦向き(スマートフォンで小説を読むのと同じ向き)、シューティングやアクションは横向きと、ゲームジャンルに応じて最適な向きを選択できた。このコンセプトは 26 年後の Switch(2017)の Joy-Con 縦横対応や、Steam Deck の横長フォームファクターにも継承されている——しかしワンダースワンが先行して具現化していた発想である。
ソフトウェア面でのワンダースワンの存続を支えたのは、バンダイとスクウェアという 2 つの独占パートナーシップである。バンダイ親会社は『犬夜叉』『ガンダム』『ウルトラマン』など膨大なアニメ IP のライセンスを保有しており、『犬夜叉 奈落の罠』(2002)はワンダースワン最大級のヒット作のひとつとなった。しかし歴史的により重要なのがスクウェアとの提携である——1997 年の『ファイナルファンタジー VII』PlayStation 移籍以後、スクウェアと任天堂の関係は完全に冷え切っており、スクウェアはゲームボーイカラーを意図的に避けていた。2000-2002 年にかけて、スクウェアはワンダースワン上で**『ファイナルファンタジー I/II/IV』、『魔界塔士 Sa·Ga』のリメイク**を投入した——スクウェア/任天堂 5 年冷戦期における、意図的な「サイドスイッチ」期間であり、スクウェアは GBA を完全に飛ばしてバンダイに独占供給した。スクウェア/バンダイ同盟期の 2000-2002 年は、ワンダースワンが商業的に最も活発だった時期である。
バンダイは 3 つの主要 SKU を展開した:ワンダースワン(1999、モノクロ)→ ワンダースワン カラー(2000 年 12 月、STN カラー LCD 同時 64 色)→ SwanCrystal(2002、TFT カラー、視野角拡大)。シリーズ全体の累計販売は約 350 万台——日本市場のみでの展開で、バンダイは海外市場への本格進出は行わなかった。これにより 1999-2003 年の日本携帯機市場における「第 3 勢力」としてのポジションが確立された。
商業的にはワンダースワンとゲームボーイカラー/GBA の競合は、バンダイの撤退をもって決着した。2003 年、バンダイはワンダースワンシリーズの生産を終了——主因は GBA(2001)の 32 ビット化による世代差、スクウェアの任天堂携帯機への復帰(『ファイナルファンタジータクティクス アドバンス』が 2003 年に GBA で発売)、そしてバンダイとナムコの 2005 年合併(バンダイナムコホールディングス成立)後、独立した携帯機プラットフォームを保有する戦略的合理性の消失である。ワンダースワンは、日本市場における「非任天堂・国内系」の本格的な携帯機挑戦としては最後の事例となった——次に任天堂携帯機支配への直接的な挑戦が現れるのは、2004 年のソニー PSP まで待つことになる。
代表作
- ファイナルファンタジー I/II/IV(スクウェア、2000-02 リメイク)
- 犬夜叉 奈落の罠(バンダイ、2002)
- GunPey(コト、1999、横井軍平最後のゲーム設計作)
- Star Hearts(バンダイ、2003)
- 魔界塔士 Sa·Ga(スクウェア、2002 リメイク)