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[ GEN a · ナムコ(中村製作所、岩谷徹 設計) ]

パックマン(Pac-Man Arcade)

ハードウェア仕様

メーカー
ナムコ(中村製作所、岩谷徹 設計)
CPU
Zilog Z80 @ 3.072 MHz
ディスプレイ
224 × 288 縦型ラスタースキャン
RAM
2 KB Work + 2 KB Video
音源
カスタム 3ch 矩形波 WSG
メディア
Mask ROM 基板
入力
8 方向ジョイスティック(ボタンなし)

発売日

日本
1980-05-22
北米
1980-10-01
欧州
1980-12-01

累計販売台数

公式数値
40 万筐体(1980-1987 全世界出荷)

ナムコ 1981-1987 内部資料

派生機種

ナムコ パックマン(オリジナル基板)

1980-05

Z80 アーケード基板

ナムコ自社設計。後に北米生産を Midway にライセンス供与。生涯ロイヤリティ収入は USD $100M 超と推定される。

パックマン カクテルキャビネット

1981

二人対戦テーブル筐体

アーケード基板をコーヒーテーブル形状の筐体に内蔵、画面はテーブル下方。1980 年代中盤の日本喫茶店の標準設備の一つ。

キュレーターズノート

この機種が象徴するもの

パックマンは『単なる別の一台のアーケードゲーム』ではない——1980 年に、アーケードを男性向けシューターから全年齢向けエンタメへと引き出した転換点だ。岩谷徹は意図的に暴力を排し、可愛いキャラクター、4 体の個性を持つゴーストによる迷路シナリオを設計。アーケード史最大の客層拡大が起き、世界出荷 40 万筐体は今も歴代最高記録。

歴史の転換点

1980 年 5 月日本発売時の反応は普通だったが、1980 年 10 月の北米発売後に爆発的人気となり、1981-1982 年は米国で最も収益を上げる単一ゲームに。シリアル、アニメ、Buckner & Garcia の 1982 年シングル『Pac-Man Fever』(Billboard Hot 100 第 9 位)など、メディアミックスで初めて成立したゲーム IP となった。

地域の記憶

中華圏では台北・中華商場、香港・旺角の電動間で最も多く見られた筐体。1980 年代アジアの子どもが最初に名前を覚えたアーケードキャラはほぼパックマンで——マリオより 3 年早い。真に最初のクロスカルチャー・クロスジェネレーションのゲームスター。

キュレーション選

  1. パックマン(1980)

    オリジナル。岩谷徹は『一切れ食べたピザの形』からデザインのインスピレーションを得たと語っている。256 面に到達するとメモリオーバーフローでスプリットスクリーンの『kill screen』が出現——ゲーム史上最も有名なグリッチの一つ。

  2. ミズ・パックマン(1981)

    もとは北米の有志による無断改造版。後に Midway が原作者と交渉してライセンス取得。ゴーストの行動がよりランダム、迷路も多様化——多くのアーケードファンは原作より遊びやすいと評価する。

  3. パックランド(1984)

    パックマンを横スクロールアクション・プラットフォーマーに展開。『スーパーマリオブラザーズ』(1985)より 1 年早く——プラットフォームジャンルの祖先の一つ。宮本茂は後にパックランドが SMB の設計に影響を与えたことを公言している。

1980 年 5 月 22 日、ナムコのエンジニア岩谷徹は東京で パックマン(Pac-Man) を発売した。日本での原名は『パックマン(Puck-Man)』だが、北米市場で ‘Puck-Man’ 筐体が ‘F***-Man’ に書き換えられる懸念から、Midway へのライセンス提供時に ‘Pac-Man’ に改名された。

ハードウェア自体は普通だった:Zilog Z80 CPU @ 3 MHz、2 KB RAM、3 チャンネル矩形波音源。特殊だったのは設計思想だ。1979 年のアーケード市場は『スペースインベーダー』『アステロイド』のようなシューターが主流で、客層は十代男子に偏っていた。岩谷徹は 『恋人や姉妹や母親も遊びたくなるゲーム』 を作ろうとした——その結果として、可愛い黄色い主人公、4 体の AI 個性付きゴースト(Blinky / Pinky / Inky / Clyde)、非暴力の迷路ゲームが誕生した。

結果は アーケード史上最大の客層拡大 だった。1980-1982 年は北米アーケード収益記録を連続更新、関連グッズ(シリアル、アニメ、Buckner & Garcia の 1982 年シングル『Pac-Man Fever』が Billboard Hot 100 第 9 位)により、パックマンは初の真のメディアミックス・ビデオゲーム IP となった。世界累計筐体出荷 40 万台は今でも歴代最高記録

パックマンは 1980 年代アーケードのレベル設計言語の多くを定義した:迷路、スコア、エクストラライフ、『kill screen』(256 面のメモリオーバーフロー)。パックランド(1984)はスーパーマリオブラザーズ(1985)より 1 年早い横スクロールアクションだった——宮本茂は後にパックランドが SMB の設計方向に影響を与えたことを公言している。

中華圏では、1980 年代の台北・中華商場、香港・旺角電動間、東京・渋谷のすべての子どもがパックマンを目にした。スーパーマリオブラザーズの 5 年前に到着したパックマンは、真の最初のクロスカルチャー・クロスジェネレーションのゲームスターとなった。

代表作

  • パックマン(ナムコ、1980)
  • ミズ・パックマン(Midway、1981、無断改造後ライセンス取得)
  • スーパーパックマン(ナムコ、1982)
  • パックランド(ナムコ、1984)

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